上関原発建設阻止行動 7

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今日は敬老の日です。
これまで社会に尽くしてきたおじいちゃん、おばあちゃんを労る日です。
こんな日にも中国電力は台船を田名埠頭に移動させようとしました。
中国電力は「作業を安全に進めるため、作業台船の進路を開けてください。お願いします」
と繰り返します。
19日から「違法行為」という言葉を封印し、丁寧な言葉を使うようにしています。
しかし、繰り返される内容は納得できるものではありません。
祝島島民は海と陸から抗議します。
そのほとんどが戦中、戦後を生き抜いてきたおじいちゃん、おばあちゃんです。
「戦後は食べ物がのうて(なくて)おぉじょうした(大変だった)島の山の上まで耕して
芋やカボチャを植えた。米なんて食えんやった。」
と、座り込みをしている時に祝島のおばあちゃんが話してくれました。
「お肉とかは?」と私が聞くと、
「そんなものは食べられん。食べれるのはイリコよぅね」
と笑いながら答えられました。
そんな生活を続けられながら、結婚し懸命に子どもを育てて来たのです。
27年前、上関原発建設問題が浮上しなければ、穏やかな老後が送れていただろうにと思います。
しかし、祝島の人は強い、
「あの頃の苦労を思えば、座り込みなんてなんでもないいね」
と言われました。頭が下がります。
中国電力は11時9分、作業の中止を告げました。
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本日の参加豚 ダイスケ君
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背中には「原発反対」の文字が!

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