中国電力による損害賠償請求
10月22日(水)、中国電力による損害賠償請求訴訟が山口地裁で行われました。
原告は中国電力、被告は祝島島民2名、若者2名。中国電力は上関原発を建てようとしている田ノ浦の埋め立て工事を妨害したとして、
4人に4800万円もの損害賠償請求を行っています。
この日、95人が裁判所に集まりましたが、傍聴席は35席しかないため、抽選となりました。
法廷では二名の方の意見陳述が行われました。
以下、陳述書です。
陳 述 書
平成26年10月22日
清 水 敏 保
私は、本裁判における被告の一人である、清水敏保と申します。
本裁判で、今まで3回にわたり意見の陳述をしてきました。
平成22年5月には、中国電力に対する祝島島民の28年間にわたる非暴力での抗議活動について陳述しました。
平成23年12月には、その年の3月に発生した東京電力福島第一原発事故による大きく悲惨な被害に基づいて、周辺に住む人達の暮らしや産業を全て破壊してしまう危険なものであることが改めて証明され、日本には原発はいらないと確信したことを陳述しました。
そして、平成25年には、私たちの住んでいる祝島が原子力防災指針によると、原発から半径5キロ以内の「予防的防御措置を準備する区域」にあたることを述べ、そうであるけれども離島であるため、船舶による移動しかなく逃げる手段も限られ、避難計画も確立されていないことを中心に陳述しました。
平成21年12月に、この裁判が提訴されてから、今年12月でもう5年が経過しようとしています。
その間、社会情勢は様々に変わってきました。しかし、平成23年3月の福島第一原発事故は、日本において絶対に原発をつくってはならないことを国民の目にはっきりさせたと思います。
だからこそ、安倍政権となり露骨に原発推進へと政治が動いても、今年の3月に山口市維新公園で行われた、「上関原発を建てさせない山口県民大集会~福島をわすれないさよなら上関原発~」集会で、全国各地から7000人を超える参加者が結集し、上関原発建設計画に抗議の声を上げたのです。
また、今年の5月には福井地方裁判所において、大飯原発を運転させてはならないという差し止め判決が出ました。
この判決は、福島第一原発事故により、原発の危険性や被害の大きさを認め、原発よりも人の生命や生活を維持する「人格権」が優先されると私は解釈しました。また、原発の稼働が電力供給の安定性、コストの低減につながり、運転停止になれば、国富の流出や喪失となると主張する電力会社に対して、裁判所は、「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが、国富の喪失である」と言っています。まさにその通りだと思います。
もはや私たちの32年にわたる上関原発を建てさせないという抗議活動の正当性は明らかだと思います。
あとは、中国電力が取り上げた私たちの一つ一つの行動を、公平な目でよく吟味してください。どの行動も何千万もの損害賠償の請求をされなければならない行為ではないはずです。
裁判所におかれましても、このような私たちの行動の正当性と平穏さを正確にくみ取っていただき、速やかに請求棄却の判断をされることを強く要望いたしまして私の陳述といたします。
以上
意見陳述書
2014年10月22日
岡 田 和 樹
僕たち被告とされている4人をはじめ、上関原子力発電所建設計画当初から30年以上にわたって建設に反対してきた地元の人々や全国から駆けつけた多くの人は、中国電力が訴えているような過激で違法な妨害行為は行っていません。
原子力発電所からは、必ず膨大な放射性汚染物質が排出されます。放射能は生命に直接危害を及ぼすものです。すべての生き物には、生きていくための基盤である大地・空気・水などの自然環境が必要であり、そこが放射能によって汚染されることは、生存する権利が奪われることです。
何億年とかけて自然や生命が受け継いできた遺伝子を放射能は一瞬で破壊します。さらには、汚染された遺伝子や地域は、時間をかけても元に戻すことはできません。原子力発電所は、僕たちにとって利益でも夢のエネルギーでもなく、共存することができない放射能を強制的に背負わせる負の遺産です。生まれ育ったふるさとで、健康に幸せに生きていくためには、原子力発電所に反対するほか道はありませんでした。僕たちは一貫して、命やふるさと、自然や財産を守って生きていくため、平穏な非暴力の抗議行動を行ってきました。
日本の原子力発電所は、世界に誇る技術によって、仮に事故が起きても多重の防護で放射能を封じ込め、安全であると言われてきました。しかし、安全のはずだった福島第一原発は事故を起こし収束の見通しも立たず、今なお高濃度の放射線汚染物質が排出され、世界中に広がり続けています。甚大な被害と想定外の事故が起きている以上、原子力発電所のあり方を根本的に見直さなければなりません。広島原爆から福島事故に至るまでどれほど多くの核犠牲者が出たのでしょうか。原子力の危険性に目をつぶり、なお建設や再稼動をすることは再び過ちを繰り返すことになります。
僕は、中国電力の一消費者として、これまでの数ある不祥事と隠蔽体質の中国電力を信頼することはできません。 2010年には中国電力が運転してきた島根原子力発電所で機器の超過使用が500ケ所以上、点検の誤記載と記載漏れが1150ケ所以上あったと報告されました。緊急炉心冷却システム用のモーターなど最高度の信頼性を確保する必要がある機器52件の点検漏れと10年以上の超過使用も含まれていたと言われ
ています。
故意にも匹敵するほどの人の命にかかわる重大な過失です。全国初の点検不備により原子炉は停止され、経済産業省からは保守点検ランク
全国最低評価1を付けられ、この問題だけとってみても、中国電力が原子炉を安全に運転できる事業者ではないことは明らかです。また、放射性物質の処分計画や地元の避難計画も定めていない中で、原子力発電所建設を進める姿勢は、無責任そのものです。
上関原子力発電所建設においては、これまでにも莫大なお金を地元に配り、選挙においては不正転入を行い、現地では反対する人に暴力
をもはたらいてきました。計画は最初から原発建設在りきで、民主主義とは程遠いものでした。地元理解もないまま工事は進み、僕たちはやむを得ず、現地で抗議をするほかありませんでした。
しかし、平穏かつ非暴力の抗議行動に対して、中国電力側は強硬な作業を次第にエスカレートさせていきました。海上に浮かぶ一人乗りの
小さなカヤックに体当たりするように、大きな作業船を何度も急接近させ荒波を立てて脅したり、クレーン台船の周りで停止し抗議する漁船
やカヤックの頭上で、1トン以上ある大きなコンクリートブロックを旋回させたり、日の出前には着工しないとしていた工事を次々と行い、真っ暗な海上で航行灯を点けて停泊し、抗議していた祝島の漁船を、真横から巨大なクレーン台船で押しよけて航行するなど、一歩間違えば死傷者が出るくらい危険な行為を行ってきました。僕たちは、自分たちの安全を確保するためにやむを得ず、ワイヤ一に掴まって強引に進む工事に抗議しました。しかし中国電力は、「安全第一」としつつ、ワイヤ一に掴まって抗議する男性を大型クレーンで吊り上げるというさらなる危険な行為をしました。その有り得ない状況に強い憤りを持ち、僕もクレーンのワイヤ一に掴まりました。
直後、作業員4人により、ワイヤーから振りほどかれて、作業船に引きずり上げられた上に、甲板に押し倒されました。そして、3人がかりで首や手足を羽交い絞めにされました。その間も、目の前の作業は止まることなく続行され、首や腹部を絞め続けられていたため意識が朦朧とし、緊急搬送され5日間入院することになりました。中国電力は、僕たちの行動が過激で違法な妨害行為と主張していますが、中国電力自らが危険を招いて惹き起こしたものにほかなりません。
僕は瀬戸内海の沿岸で生まれ育ちました。このふるさとである瀬戸内海が大好きで、離れることができず、現在は自立して三原市小泉町で
農業をしています。豊かな自然環境や先祖が辛苦して切り開いてきた土地を守り、何千年とかけて実り得た野菜の種子や、生きるための文
化や叡智を大切に受け継ぎたいと思っています。日々海や山、川の自然から恵みを受けて暮らしています。先祖が代々繰り返してきた、自然
とともにある地域に根ざした生き方こそが、将来にわたり持続可能で幸せな暮らしであると改めて実感しています。僕は、大切な命とふるさと
を守ります。それを脅かす原子力発電所を絶対に許す訳にはいかないのです。
この裁判が始まってまもなく5年が経過します。地元広島をはじめ、全国各地のたくさんの方に支えられていますが、裁判の先行きも見通
せないまま、時間的にも金銭的にも拘束されて生活に多大な影響を受けています。また、僕たち個人からすると大きな権力を持つ中国電力と
いう公益企業により訴えられているということは、想像していた以上に精神的に大きな負担となっています。僕たちは自分たちが訴えられていることに納得がいきません。そもそも、命や生活を守ろうとした行動が、一企業の利益に対する妨害行為にすり替えられていることは、と
ても悲しいことです。
なぜ、中国電力は原子力発電所建設の大前提である住民からの理解を得ようとはせずに、抗議する意見を押さえ込むような争いをはじ
めたのでしょうか。まずは、建設工事を凍結し、裁判を取り下げ、会社と発電所の不祥事や隠蔽体質を改善し、信頼を回復することからはじ
めるべきではないでしょうか。僕たちは、一消費者として、中国電力に対し、命や生活、自然環境を大切にして、放射能によって苦しめられ
てきた広島にとって誇れる企業であってほしいと切に願います。