2015年全国被爆二世交流会

2月14日〜15日にかけて、長崎市長崎県教育文化会館において2015全国被爆二世交流会が開かれました。全国から多くの被爆二世や支援者が集まりました。
本年は、被爆70年という節目の年に当たり、私たち被爆二世に課せられた使命は増々大きくなっています。特に、被爆一世の多くが他界し、生き残った被爆者も、自らの被爆体験を話す最後の機会が近づいています。
こうした被爆者をめぐる状況のなかで、今、被爆二世が被爆体験をどう継承するかということが、大きな課題となっています。長崎の証言の会の山川剛さんがこのことを3つの柱に分けて論じられ、歴史的及び科学的そして多面的に分析されました。特に、「教育というのは、自分が経験していない事を想像する力を身につけること。」だと訴えられたことには、強く共感しました。
以下、講演の要約を記します。
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「被爆体験をどう継承するか」 〜語り継ぐ上での諸問題〜 
はじめに、教え子の高校生が作ったリポートをもとにそこから、読み取れる3つのポイントをひも解かれました。
《夏休みに東京に行ったとき、友達に「長崎では9日は登校日だよ」と言ったら、
原爆投下の日を知らなかったらしくて「変なの」と言われたので教えると
長崎って戦争のイメージがあるから行きたくない」と言われてショックでした》。
下線を引いた3つの箇所に注目して、
①普通の高校生が8月9日に長崎に原爆が投下されたという事実を知らない。
②長崎の高校生は、1970年に始まった平和教育によって同じ高校生に教えることができる。
③平和教育の目的をしっかりとつかむ必要がある。
まず前提として、何のために伝えるか(目的)を明確にすることだ。当たり前のことのように見えて、そうではない。
語り部をする際、以前、長崎市から「政治的なことは言うな。科学的評価が定まっていない劣化ウラン弾の被害等については語るな」というような指針が出たことがある。
これは、許せなかった。被爆者は思い出話をしているのでは無い。今とこれからのために、非核、戦争廃絶(非戦)、平和な世界の実現のために話しているのだ。
だれが伝えるか
次に3つの柱の1番目としてだれが伝えるかという担い手の問題がある。
まず、被爆者、その中には直接や入市や救護•死体処理にあたった人や胎内被爆者の方がいるし、被爆遺構が伝える場合もある。
次に被爆二世や三世が語り継いでいる。子どもに話していない被爆者も多いが、被爆者の一番近くにいて、被爆者の戦後の生き様を見て育っており、ぜひ今からでも遅くないので親に質問して聞きとって欲しい。
そして圧倒的多数の非被爆者がいる。その気があればだれでも、語り継ぐことができる。
最後に、継承の重要な担い手としてマスコミを上げられた。その上で、上記4つの被爆体験を引継ぐ担い手の全てに外国人が存在することと、被爆体験の継承のセンターとなる場所が必要だ。
何を伝えるか
3つの柱の2番目として何を伝えるかと言う中味の問題がある。被爆の実相を伝えるために、キノコ雲の下で、人間のいのち・暮らし・環境はどうなったのか。今を生きる者の責務として可能な限りの被爆証言や克明な科学的諸調査、さまざまな資料によって原爆とはなんだったのか、原爆は人間に何をもたらしたのかを明らすることだ。
そのうえで、二度と被爆者をつくらない、他の誰も被爆者にしてはならないという被爆者としての思い、願い、生き方を引継ぐことが大切だ。
どう伝えるか
3つの柱の3番目は、どう伝えるかという伝え方の問題を話された。内容も展開もワンパターンにならないように努力し、語る側と聞く側のずれや溝をどう克服していくかということも重要な課題だ。教材が持つ残酷さと学ぶ側の発達段階の問題も軽視してはならないし、現場の実践と研究者の理論双方からのアプローチが大切だ。
最後に、被爆体験の継承=明日への伝言という作詞:山川啓介 作曲:いずみたくの歌を紹介して話しを終えられた。
これから、被爆体験を引継ぐ上で示唆に富む大変貴重なお話だった。
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続いて、「被爆二世運動とフクシマとの連帯」というテーマで、振津かつみさんが福島の現在の状況を丁寧に話しながら、被爆二世と福島の被曝者が結びつくことで、ヒバク者差別を許さず、ヒバク者が安心して生きていける社会を作り出すことが可能であると訴えられました。
核と人類は共存できないことを改めて確認しました。
2日目には、各県の活動報告や二世協の活動報告と方針が提起されました。
その中で、今回新たに被爆二世の援護を求める署名が開始されることが表明されました。(正式に決まり次第ご報告いたします。)
2日間に亘る交流会の中で、被爆体験を話すことが出来ない被爆者の体験の重たさや被害や加害をはらんだトラウマも含めて被爆者を理解し、その生き様を肯定して未来に活かせるのは、やっぱり被爆二世なのではないかという論議にもなりました。
私たち被爆二世は、核の被害も戦争も無い世界を実現するために、被爆者が未来に紡いだ平和の使者なのだと改めて感じました。
共に頑張りましょう!

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