2023上関原発を建てさせない山口大集会の報告
去る3月18日(日)、山口市維新百年記念公園・野外音楽堂で約800名の参加のもと、2023上関原発を建てさせない山口大集会が開催されました。実に4年ぶりです。
まず、黙とうの後、主催者挨拶が二名の共同代表により行われました。清水敏保共同代表は、昨年中国電力が「上関原発を建てさせない祝島島民の会」を提訴した裁判について話した後、「私たち漁業者は釣りをしているだけで、妨害しているのは中国電力の方だ。ご支援お願いします。元気に楽しく、白紙撤回されるまで共に闘う」と力強く発言をしました。もう一人の共同代表、内山新吾弁護士は、亡くなられた那須正幹共同代表のことを語られた後、「広島・福島を体験した私たちには、核兵器と原発を無くす責任がある。そのためには、怒りも抗議の声も必要だし、同時に笑顔と希望が必要です。この集会を笑顔の集会にしましょう」と発言されました。
特別報告は、「避難の権利」を求める全国避難者の会の大賀あや子さんです。以下、発言要旨
原発事故後、福島県会津若松市に3年、新潟県内に9年避難している。
2011年、私は福島第一原発立地の大熊町で小農を営みながら脱原発福島ネットワークなどの活動に参加し、廃炉アクション福島原発40年と私たちの未来という新たな取り組みに希望を持っていた。しかし、3月11日原発過酷事故がおき、福島第一原発のメルトダウン、連日の爆発と続き、私たちは緊急避難の途上から避難区域の拡大や被曝防護、避難の支援などを求める活動に奔走し始めた。環境省が、年1ミリシーベルト以上相当の地域を含む市町村を指定した汚染状況重点調査地域の範囲だけでも約700万人の人々が暮らしていた。セシウム137の半減期が10回で300年、長寿命の核種もあり、世代を超えて長く影響が残る。生活環境に広くはじめに放射能プルームが飛来降下し、地面、地道、建物の屋根、壁、屋外の人、動物、植物あらゆる物に付着した。埃などと共に体内、室内、屋外環境、遠方へと沈着、移動する。短期間の退避ではなく、長期の社会生活を続けながら被曝を防ぐことはとてもとても大変だ。農林漁業への影響はもちろん、お金では換算できない子どもの外遊び、山や海や川など自然に親しむレジャー、魚、きのこ、山菜などの食文化、生業、生き甲斐が奪われた。
2011年3月、政府は安定ヨウ素剤配布などは実施せず、4月には大人から子どもまで被曝限度の基準を、ICRPの緊急時被曝状況における人々の防護のための勧告の目安上限である年間20ミリシーベルトに定め、避難指示区域の拡大を限定的にしか行なわなかった。汚染地の住民は、避難するかまたはとどまるかの自己決定を保障されるべきだ。被曝なき居住、貧困なき避難が私たちの生きる権利であり、基本的な人権であるとして、私たちは政策変更を求めて活動を続けている。
ここ数年、福島県内外で、さらに進んでいるのは、一般被曝限度の20倍の年間20ミリシーベルト基準による拙速な避難指示区域の部分解除、移転先に苦慮する避難者の住宅追い立て、避難者数集計の矛盾、復興をうたうイベント、視察ツアー、開発事業の乱発などだ。全国の避難者数については、例えば2023年2月の福島県と復興庁の集計では、全国で約4万2千人、ところが避難指示市町村ごとの集計を合計すると約6万2千人だった。また、原発避難者の精神的健康調査は、過去の大震災被災者より深刻な結果だ。未来が見えなくて、仮の人生が続くとPTSDが多発する。先の見えない感覚の持続によりフラッシュバックならぬ、フラッシュフォワードが起きる。原発事故被害の今後について、私たちは被災地に暮らす人も、避難先に暮らす人も、一人も取り残さず、住居や健康の不安なく暮らせる施策を政府に実行させる。決してあきらめない。次の世代にも引き継いでいきたい。避難先、各地や福島で発言し始めている若い人たちもいる。また、日本中世界中の誰にも、私たちの苦しみを繰り返させたくない。
この3月12日に私たちは「福島原発事故12年、拡散する放射性物質の行方と私たちの未来」と題して、放射性廃棄物と汚染水の現状を知り、事故と廃炉の現在を検証し、これからを考える集会を持った。一〇〇年、二〇〇年、三〇〇年後の未来の人々が、幸せに生きることが出来るよう、私たちは対立や分断を乗り越え、協力してこれからも努力し続けることを宣言する。
次に、中村覚弁護士よる中国電力が祝島島民の会の皆さんを訴えている裁判の経過報告があった。祝島島民の会青年部のみなさんのトーク&アピールでは、司会を県連絡会事務局長の原康司さんがつとめ、アーサー・ビナードさんが聞き手となって、祝島で暮らしていく上での良さや大変さが語られた。
その後、県外参加団体の紹介を行い、地方選挙で反原発を掲げて立候補されている方々の紹介と続き、集会宣言を採択した。最後に、「命の海」と書かれた紙を掲げる集会パフォーマンスを行って、一人一人の上関原発反対の思いを表現した。
外では、マルシェが開かれた。「上関の自然を守る会」は、上関の寒ボラをメインにした寒ボラ弁当と寒ボラサンドを販売。飛ぶように売れ、お昼前には完売していた
私たちのキッズコーナーも好評で、子ども達とボラ帽子やカンムリウミスズメのおもちゃなどを一緒に作った。
実りある集会となった。