8・6広島青空式典報告
原爆投下から79年となる8月6日。今年も8・6広島青空式典(以下、青空式典)を原爆ドーム前にて行いました。
今年は、広島市が5時から平和公園全域への入園を規制するとされており、混乱が予想されていました。参加者によると、原爆ドームに向かうバスの車中から、パレスチナ連帯を掲げたデモ隊を見かけたとのこと。川沿いに護送車が並んでおり、警察官が多く目についたとの事でした。9時過ぎに原爆ドーム前に到着した参加者からは、9時半頃まで警察が規制していたとのことでした。
入園規制や平日ということもあってか、公園内の人通りは少なかったものの、それでもひっきりなしに人が往来していました。式典と同時に行っている「戦争と被ばくを許さない写真展」では、多くの方が写真パネルの説明を熱心に読んでいました。日本語、英語、韓国語で印刷した青空式典のプログラムを配布したところ、受け取りも良かったです。
10時半に青空式典を開始。黙祷の後、基調報告を読み上げました。青空式典は2013年から韓国の仲間とともに日韓共同行動として行っています。韓国からのメッセージと日本から韓国に向けてのメッセージの両方を紹介しました。全国被爆二世団体連絡協議会、オーストラリアから寄せられた連帯メッセージの紹介も行いました。
メッセージ紹介に続いて、広島、福山、山口、福岡、関西、首都圏と各地から参加した仲間からの発言を受けました。福山の被爆二世が、憲法前文に節をつけた歌を披露しました。これに触発された京都の方が、飛び入りで歌を歌われました。
前日から早朝にかけての規制に対する抗議行動に参加した若者2名も飛び入りで発言されました。広島の式典にイスラエル代表が招待されたことに対して、パレスチナ人虐殺に抗議するために来たとのこと。
8月6日に平和公園で反戦、反核への主張を発言する場をつくることができました。
広島市は、市が主催する『広島市原爆死没者慰霊式並びに平和式典』に参加する人に対して、手荷物検査などを実施しました。この検査で長時間待たされたために式典出席を断念した被爆者もおられたと聞きます。一体、誰のための式典なのでしょうか。
私たちは、今回の青空式典を開催するにあたり、公園内で配布したプログラムに、慰霊について次の文章を掲載しました。
「アメリカ軍の原爆投下で殺された人々が、もし生きていれば米国の戦争犯罪を糾弾し、核兵器の保有・使用に反対するのは当然だろう。従って、亡くなった被爆者の思いの代弁をデモや集会等で行うことも、重要な慰霊の表現と感じる。静かに亡くなった方々の冥福を祈る慰霊行為となんら矛盾しない。ということは、今年の8月6日の平和記念公園において広島市が一方的に一律規制強化することは『慰霊の規制』とも言え、非常に残念だ。」
広島を選挙区とする岸田首相は、核抑止論に基づく「広島ビジョン」という負の遺産をおいていこうとしています。松井広島市長の「慰霊」は、被爆者のこれまでの闘いを「封印」するための「慰霊」であるのか。私たちは今後も8月6日の広島で反核・反戦を訴えていきます。