被爆二世の会はこうしてできた!

年  代 内               容
1985年  被爆二世の問題を考える為、また被爆二世である為に差別され悩み困窮しているもの達の集まる場所を作る為、山口市被爆二世の会を結成。
1987年  下関でも活動を開始し、山口市被爆二世の会から山口県被爆二世の会と改名する。
山口環境保健所に山口県が行っている被爆者健診(山口県では1973年より山口県独自の施策として被爆者検診を定期検診2回、希望検診2回の合計4回行っている)の案内を希望する被爆二世本人に通知するよう要求
1988年  「被爆二世健康手帳」を作成
同年の8月6日広島、8月9日長崎において厚生大臣宛の被爆二世健康手帳を要求する署名を集め両日で約110名分集める。
1989年2月15日付けの読売新聞に「被爆二世健康手帳」の記事が載ったことや、被爆者健診、ゆだ苑の休日巡回健診などで被爆者や被爆二世に手帳使用を呼びかけたことにより、2年間で100冊の手帳使用者ができた。
この頃すでに保健所から事務処理上便利だとの声が挙がる。
1997年  県の医務課を訪れ当会が把握する希望する被爆二世に健診案内を送るよう依頼し、了承された。
1998年  ゆだ苑の休日巡回健診での被爆二世の受診者が一挙に増え、「被爆二世健康手帳」の使用者が100名近く増えた。
山口県交渉を行う。交渉の中身は「一、被爆二世手帳の発行。二、健診内容の充実。三、広報活動の強化」である。また、この時厚生大臣宛の被爆二世健康手帳を要求する署名を渡そうとしたが前例がないと言うことで受け取とらなかった。この署名は後に全国被爆二世団体連絡協議会に依頼し厚生省に直接渡してもらった。
1999年  県外の被爆二世が増えたため、山口県被爆二世の会から被爆二世の会へ改名。
ゆだ苑の休日巡回健診において多くの被爆者・被爆二世の協力により「被爆二世健康手帳」の使用者はますます増えた。
これを機に「被爆二世健康手帳」の第5版を作成。
4月よりゆだ苑を利用して被爆二世110番を開設。「被爆二世健康手帳」のことと「被爆二世110番」の開設をマスコミにアピールしたことにより、県内外の被爆二世から手帳が欲しいと連絡が入る。
また、各地の保健所からも「被爆二世健康手帳」を送って欲しいと言う連絡が入る。被爆二世の会に直接電話をしてくる被爆者や被爆二世の中には「保健所でそちらにかけるよう言われた」と言う人も多くなる。
11月24日、山口県医務課に当会を中心とし山口・小郡地区原爆被害者の会や憲法を活かす市民の会・やまぐちなどのメンバーで交渉を行った。
内容は
「一、被爆二世手帳の発行。二、健診内容の充実。三、広報活動の更なる強化」である。
2000年3月24日  被爆者相談員研修会で「被爆者二世健康診断記録表」を作成するとの発表があった。
そのことが新聞記事に載った後、被爆者や被爆二世より当会に問い合わせが増える。
2000年5月  山口県が「被爆者二世健康診断記録表」発行
2001年1月1日  現在被爆二世健康手帳は第6版を作成した。第5版までは、裏表紙に「国や山口県は被爆二世手帳を発行していない」と記載してていたが、第6版より「山口県では、当会が1985年より『被爆二世健康手帳』運動を続けた結果、2000年5月より『被爆者二世健康診断記録表』を交付することになった。しかし、被爆二世が病気になっても、公的な医療給付はない。」と変更した。
当会では、山口県在住の被爆二世に対し健診などでは県発行の「被爆者二世健康診断記録表」を使用するよう呼びかけると同時に当会自主製作の被爆二世健康手帳を所持するよう伝えている。なぜなら、「被爆者二世健康診断記録表」には親の被爆場所や被爆体験の記載がないからだ。山口県外の被爆二世には当会自主製作の「被爆二世健康手帳」を使用するようすすめている。
当会が行政交渉し「被爆者二世健康診断記録表」を勝ち取ったことに対し、被爆者の中には「子どもに遺伝的影響があるとなるれば、子々孫々まで被爆者となり部落差別と同じようになるから言ってくれるな」と言うものがいた。しかし、多くの被爆二世が健康への不安を感じ、その中には実際に病気になって苦しんでいる者がいるのも事実である。
当会は結成以来、障害者差別・女性差別・民族差別・部落差別と向き合い闘ってきている。それは会を担ってきたもの達が自らの受けた差別に対し真正面から立ち向かい闘ってきたからだ。当会はこれからも被爆二世全体の利益を守るために、国に対し全ての被爆二世の国家補償(二世手帳の交付・医療給付・生活補償)を求めていく。それは被爆者の子々孫々が差別を受けず安心して暮らせるためであり、核兵器を廃絶し二度と侵略戦争を繰り返させないための証だからだ。
2002年11月23日 被爆二世の会第一回総会を開催

「反戦・反核・反原発・被爆二世に国家補償を」の基本理念に沿って闘ってきた18年を振り返り、新たに飛躍するためにふさわしい総会となった。