核兵器廃絶をめざしてin長崎

長崎原爆朝鮮人被爆者早朝追悼集会は7時30分から始まります。集会後に職場に行けるようにとの配慮のようです。
出席者は長崎市長の代理、在日本朝鮮人総連合会(以下、総連)、韓国人原爆被爆者の会、韓国被爆二世の会、中国楽山空襲被害者の方などです。
総連と韓国人被爆者の方は異口同音に、戦時中の苦難と被爆後放置された事に対する怒りを述べられました。
中国の楽山で日本軍による空襲に遭った方は「重慶だけでなく楽山でも酷い空襲があり、人口3万人のうち千人が亡くなった。
私の家族は9人だったが母や兄弟など5人が亡くなり、父が経営していた印刷所も焼失した。
父は私たちを育てることができず、生き残った兄弟全員を売った。
私を買った家はすぐに離散し、また売られた。だから私は三度名前が変わっている。」と売られたときの契約書を見せながら話されました。
そして最後に「戦争をなくすため、民衆同士が連帯しましょう」と呼びかけられました。
韓国人被爆二世の方は韓国の高校生平和大使を連れてきており、それぞれを紹介した後、アリランを演奏されました。
朝鮮民主主義人民共和国、韓国、中国の参加者を交え、追悼集会を催すことに大変意義深いものがありました。
それは平素から、集会を運営する人達が、共闘関係を築いているからに他なりません。
こうした連帯が戦争をなくす一翼になると感じました。

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