核兵器廃絶を目指して

64年目の8月6日を広島原爆ドームで迎えました。
様々な人たちが様々な取り組みをしている中で、被爆二世の会は学生や労働者とともに青空集会を行いました。
基調報告では「被爆者・二世・三世の国家補償にもとづく援護を求めていこう。
アジアの人々との団結の力で、アジアから全ての米軍基地を撤去し、日本の核武装を阻止して、東アジアの非核化を実現しよう。
朝鮮戦争を阻止しよう」と訴えました。
各団体はいろいろな取り組みを方向しました。
途中、歌あり踊りありのなんとも賑やかな集会となりました。
今年は上関原発建設反対の署名も集めました。
署名集めは初めての学生も一生懸命集めてくれました。
また韓国人被爆者の方が「被爆二世が原発に反対していることに敬意を表します。是非署名にご協力を!」
と発言されたことに、私たちは感激しました。
午後は平和公園内のフィールドワークを行いました。
海外の人の中には「原爆が落ちたのが公園で良かったね」と言われる人がいるそうです。
1945年8月6日8時15分の直前まで平和公園は公園ではなく、民家があり、学校も映画館もある街でした。
産業奨励館(現、原爆ドーム)はモダンな建物で、子どもたちの絵の展示などもしていました。
それが一瞬で破壊されたのです。
フィールドワークでは人々の暮らしが破壊されたことや韓国人慰霊碑建立のいきさつを学習しました。
最後に貞子さんの像の前で紙芝居を見ました。
例年8月6日に平和公園を訪れる人が少なくなっている気がします。
平日に休暇をとってまで、慰霊に行くのはかなり意識がないと出来ないと思います。
また、行きたくても有給を使えない人もいるでしょう。
広島に来なくても、8月6日が何の日かを思い出してください。
子どもさんがいるなら、何の日かを教えてあげてください。
それが核兵器廃絶の一歩になります。

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