8・6広島青空式典

被爆70年の8月6日、広島の平和公園には、世界中から大勢の人々が集まっています。
それぞれが亡くなった被爆者の追悼行事や、戦争や核に反対する集会、ダイインなどをしています。
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8時30分、私たちは原爆ドーム横で、「戦争と被ばくを許さない写真展〜命を脅かすもの〜」の展示と被爆二世の援護を求める署名に取りかかりました。
広島・長崎の原爆被害や日韓被爆二世の交流の様子、沖縄や岩国などの米軍基地問題や原発の再稼働・上関原発建設計画に反対する写真など約20枚のパネルには、英語・韓国語・中国語の訳を付けました。今年は、それに加えて、日本語、英語、韓国語、中国語、モンゴル語、ロシア語で「平和」と書いたメッセージボードも設置しました。
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合わせて、被爆二世の会の旗を立てて、冷茶の準備と亡くなった被爆者・被爆二世の遺影を飾りました。
青空式典が始まる前に、韓国被爆2世会会長が立ち寄られ、韓国と日本の若者が共同で行っている核兵器に反対する平和活動を韓国語・日本語・英語で紹介してくださいました。
また、石川や大阪、岡山、山口から来られた被爆二世が足を止められ、署名しながら、いろんな話しをしました。どの方も今の政府に危機感を持たれていました。改めて、8月6日の広島の平和公園は、被爆二世・三世にとって重要な日であり大切な場所だと感じました。
午前10時30分、被爆三世の司会の下で青空式典は始まりました。開会の挨拶に続き、亡くなった被爆者・被爆二世を追悼して黙祷をしたのち、被爆二世の会からの基調報告を行いました。
基調報告では、平和公園はもともとは多くの人々が暮らす街であったこと、米軍による原爆投下は無差別大量虐殺であることを指摘しました。
また安倍政権が行おうとしている原発の再稼働や安保法制に反対しようとよびかけました。
その上で、先の戦争を肯定して侵略と植民地支配の事実を認めず、戦争法制を推し進める安倍首相には戦後70年談話を出す資格も無いと断言しました。
次に、韓国・日本・台湾の若者が共同で作った「青空国際宣言」が発表されました。「今日、広島への原爆投下70周年を迎え、国土でも大陸でもない人間性に基づいて集まった私たちは、団結し、行動するために、韓国、日本、台湾で、この宣言を発表する。『人間ではなく、原子力産業に死を!』」で終わるこの宣言は、地球上から全ての核兵器と原子力発電を無くすことが人類が生き残る唯一の道であることを示すものです。
宣言の作成に参加したAWC関西青年部準備会の仲間から宣言の経緯が述べられ、関西でも岩国基地の拡大強化に反対し岩国•希望の祭りを成功させるための準備が進んでいることが報告されました。
また宣言を中心的に担った韓国の青年緑ネットワークの仲間は、「皆さんと一緒に原爆も原発も放射能の被害も戦争も無い世界を目指して共に闘っていく。闘争(トゥジャン)!」と元気よく発言しました。
続いて連帯メッセージ読み上げられました。全国被爆二世団体連絡協議会と長崎県被爆二世の会、米国・ANSWER連合、台湾人権協会、AWC韓国委員会、インドネシアの仲間、フィリピン新民族主義者同盟(BAYAN)日本支部、AWC日本連絡会議より連帯のメッセージが届いています。どのメッセージも、安倍政権の戦争法制や原発の再稼働に反対し、日本が再び侵略戦争を行わないように訴えるものです。
そして、あじあんさんの歌に移りました。福山市では、戦争法制に反対するデモや集会を何度も行って来たこと、そうした取組みに一人でも多くの若者が参加できるように努力してきたこと、8月8日には福山空襲を忘れないためのピースコンサートがあることを語られ、3曲の平和ソングを歌ってくださいました。外国人の飛び入り参加もあり、楽しい一時となりました。
各団体からの発言では、
AWC日本連絡会議
「敗戦70年、被爆、原爆投下70年にあたって、かつての日本帝国主義がアジア侵略戦争を行った誤りと犯罪を明確に総括し、これらの反省とすべての戦後補償が行われなければならない」
北九州の仲間
「もっと大きな流れを作って安倍政権を打倒しよう。」
連帯労組・やまぐちは
「60年安保闘争に匹敵するこの民衆の闘いは、明治維新のように時代を変える力となる。連帯労組・やまぐちは、その一翼を断固担う。」
やまぐち障害者解放センター
「障害者の生存権が脅かされる時代こそ、戦争に向かう時代であることをひしひしと感じる。共に闘おう。」
憲法を活かす市民の会・やまぐち
「オバマ大統領とプーチン大統領は核兵器をゼロにしなさい。日本政府は米国の核の傘に頼らず、悪魔の兵器である核兵器を廃絶する先頭に立ちなさい。現在国会で審議されている戦争法制は民衆の基本的人権を蹂躙し、他国の民衆の生存権を脅かすものだ。アジアの民衆と共に闘い東北アジアの非核地帯を実現し侵略戦争を阻止しよう。」
と発言しました。また尾道の反戦•反核•反差別の歌を歌っているミュージシャンが飛び入りで歌ってくれました。
閉会の言葉はやまぐち障害者解放センターが行い、最後に、関西の若者の音頭でシュプレヒコールを集会参加者一同力強く叫んび、炎天下の中の8・6青空式典を終えました。
午後からは平和公園内のフィールドワークを行いました。また、写真展は午後三時まで行い、多くの人々に写真を見ていただきました。メッセージボードには日本語以外のメッセージが半分近くありました。
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皆様のおかげで被爆70年にふさわしい取り組みができました。
ありがとうございました。

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