祝島&長島フィールドワーク 2

今日は午後から田名埠頭で反原子力デー2009「原発いらん!in上関(田名埠頭)集会」があります。
昼過ぎの便で祝島を離れなくてはなりません。
名残惜しいですが、午前中祝島を散策しました。
祝島はお椀にような形をしており、東側に面した斜面に家が建ち並んでいます。
まず小学校へ向かうため細い路地を上りました。
途中、出会った人に「おはようございます」と挨拶すると、確実に笑顔で返事が返ってきます。
この島には「おあしす運動」など必要ありません。
小学校からは海が一望できます。
今日は少し霞んでいますが、田ノ浦が良く見えました。
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もし原発が出来ると子どもたちは学校から毎日原発を見ることになります。
学校だけではありません。
祝島のほとんどの家が窓から原発が見えることになるのです。
それは恐怖でしかありません。
小学校から田ノ浦を眺めながら、上関原発を建てさせてはならないと思いました。
旅館のはからいで、早めに昼食を頂き、港へ向かいました。
すでに、到着しているフェリーに乗り込むと、「ぶんぶん通信」を作られた鎌仲さん達も乗られました。
祝島の人達は漁船に分乗しましたが、フェリーにも田名埠頭に向かう人がかなりいるようです。
13時30分より少し遅れ、田名埠頭に到着しました。
すでに多くの人が集まっています。
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上関原発を建てさせてない祝島の会の山戸代表は
「9月10日以降の運動の広がりや署名が短期間で61万筆も集まったことで、
上関原発に反対しているのが一部の住民でないことが証明された。
島で生活するため今後も闘う」
と話されました。
長島の自然を守る会の高島代表は
「田ノ浦海岸は世界で唯一カンムリウミスズメが一年を通して安心して暮らせる場所。
環境副大臣に会い、田ノ浦のすばらしさを伝える」
と話されました。
フォトジャーナリストでDAYSJAPANの編集長の広河隆一さんは
戦場や核の問題を、知らせるためにDAYSJAPANを創ったことや
チェルノブイリ原発事故後の様子を詳しく話されました。
印象的だったのは放射線を全て防ぐ防護服は世界中どこにもない、という事実です。
広河さんは最後に「大量の人間が死ぬようなことをしてはならない」
と言われました。
虹のシーカヤッカーは一人一人がなぜ田名埠頭にいるのかを訴えました。
「未来を創るのは今を生きる私たち」
と言う言葉が印象的でした。
他にも社民党の佐々木県議や原水禁、大分の教職員の方などが力強い発言をされ、
社民党の福島瑞穂党首や静岡の自治体職員からのメッセージが紹介されました。
最後に祝島島民の会の音頭でシュプレヒコールをあげ、集会を終えました。
参加者は1200名。
それぞれが今日聞いたこと、見たこと、感じたことを周りに知らせ、行動に起こすことで
上関原発建設は止められます。
そう確信しました。

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