中国電力による損害賠償請求傍聴

申し入れの後、中国電力が祝島島民2名とカヤック隊2名を訴えた損害賠償請求訴訟の傍聴に向かいました。
今回の裁判ではカヤック隊の岡田和樹さんの意見陳述がありました。
広島の三原からも傍聴支援があり、傍聴希望者は約100名。
傍聴席は35席なので抽選となりました。
裁判終了後、弁護士より説明会がありました。
弁護士は「中国電力はお金が欲しいのではなく、抗議をすれば訴えられるということを周知することで、抗議行動が萎縮することを狙っているのだ」と話されました。
そんな不当な力には屈せず、毅然としていることが大事です。
また、首相官邸前で毎週行われているデモやいろいろなところで行われている反原発集会やデモがこの裁判にも影響するとも言われました。
そうした力が原発のない社会を作る原動力になると感じました。
説明会の最後に原告であり、上関原発建設を建てさせない島民の会の代表の清水さんが「絶対に私達は引き下がらない!引き続きご協力。ご支援をお願いしたい!」と言われました。


意見陳述書

2012年10月17日

被告 岡田和樹
私は瀬戸内で生まれ育ちました。小さい時から自然に触れ、それが原体験になっています。春には野原でツクシやワラビを採つたり、夏になると海で泳ぎ、潮干狩りや釣りをし、秋になると野山で山ブドウやアケビを採ったり、冬には落ち葉を集めて焚き火をして焼き芋を焼いたりしました。小学生の時に、地元、三原市にある天然記念物の絶滅が危惧される生物ナメクジウオに出会い、瀬戸内海の環境に興味を持つようになりました。高校生の時にはそのナメクジウオの生息環境の調査や、海砂採取によつて減少したオノミチキサンゴの調査を行い全国最優秀賞も頂きました。高校を卒業してからは、地元の漁師さんの船に毎日乗せてもらい、刺し網や、底引き網を手伝う傍ら、瀬戸内海の豊かさや環境の変化についての間き取りを行っていきました。その中、2005年12月、地元の人たちに「ハチの干潟」と呼ばれ、手つかずのまま残されてきた干潟に、埋め立て計画が持ち上がりました。その干潟には、瀬戸内海の各地で失われていつた「海のゆりかご」アマモ場が広大に繁茂し、自然海岸から広がる干潟には多様で無数の生き物たちが生息していました。私は、何としても自分たちの世代で守り、受け継ぎたいと思い、計画が持ち上がった次の日から、干潟に通い調査を続けていきました。そして、観察会や学習会、陳情などを通して、地元の人たちや、市議会、県議会などへ貴重なハチの干潟を受け継ぎたいと働き掛けていきました。最初は小さな声でしたが、地元での声も次第
に広がって大きくなっていきました。2年の取り組みの後、反対署名を集めはじめました。署名は1カ月半で市の人口の半数を上回り、それを持つて県や市に訴えました。2007年3月、市議会では埋め立て反対意見書を可決。県も工事に難色を示し、ハチの干潟の埋め立て計画は取り下げられたのです。そして、私たちの世代がこの瀬戸内の貴重な千潟を受け継ぐことができたのです。
時を同じくして、同じ瀬戸内海で原子力発電所の建設計画が続いている事を知りました。原子力発電所から出る毎秒90トンもの大量の温廃水は、現地の生態系だけではなく、私の地元広島の有名なカキにも影響を及ぼすでしょうし、それだけではなく、受け継いだハチの干潟にも影響を与えるでしょう。そして、最終的には自分たちの生活にまで関わってきます。何より建設計画地の自然を見た時に、瀬戸内海にこんなに美しい自然が手つかずのまま残されてきた事に驚きました。私たちの地元では見る事の出来なくなったスナメリが泳ぎ回り、海砂採取で濁れてしまった海で育つた私には見たこともない透明度と、生き物たちの豊かさがありました。そして、これはなんとしても残していかなくてはならないと確信したのです。
それとともに、30年近く一貫して原発による巨額の補償金を拒否し、先祖代々受け継いできた「いのちの海」を守つてきた祝島の人たちに出会いました。中でも漁師さんたちの思いは切実でした。原発建設によつて失われようとしていた海は、かかり釣りの好漁場で、瀬戸内海で数少なくなった一本釣りの漁師さんたちが、未だに漁で生計をたてていました。それはこの豊かな「いのちの海」を守ってきたからなのです。そこを埋め立て、原子力発電所を建てるということは、祝島をはじめとする地元の人たちの命や生活を奪うことに他なりません。それだけでなく、地震に対する地質調査や、環境アセスメントもずさんな調査が繰り返され、国の専門機関から再調査を求められたり、日本生態学会はじめ複数の学会から工事中止を再三にわたり求められたりしていました。さらには、お金と権力により地元を分断し、選挙に至っても不正転入が摘発されたり、事故の時の避難対策なども決まつておらず、「安全神話」によって多くの人命をも軽視したりと、中国電力の進め方自体にも大きな問題がありました。私には国策と独占的な企業による、一方的で、目先の利益を追順する行為にしか見えず、何が正しいかすぐに判断できました。
その後、広島の若者と「上関原発を考える広島20代の会」を立ち上げ、反対署名を山口県へ届けたり、中国電カヘ抗議したりしました。しかし、私たちの小さな声は無視され、その間工事が強行されていきました。私たちにとってもはや、工事が進められている現地が最後の抗議の場となりました。私は祝島の漁船とともにカヤックに乗り、埋め立ての阻止行動を行いました。全国からも多くの声が届き、様々な人が駆け付け、同じ様に阻止行動を行い24時間体制にわたる必死の座り込みで工事を止めていきました。2009年10月の埋め立て着工の期限が迫る中、中国電力は闇討ち的に工事を進めるなど、かなり強引になってきました。予定地では、漁船やカヤックが入り乱れる上を、クレーンが大きなコンクリートブロックを旋回させ海に沈めこむ、極めて危険な作業が繰り返されました。私たちは必死に危険な工事をやめるよう抗議を行いました。しかし、工事は進み、2009年11月7日、抗議していた人が台船のクレーンに吊り上げられるという事件が起きました。私は危険な工事を止めるためにカヤックから海に下り、クレーンのワイヤーを掴みました。しかし、工事は止まるどころか、中国電力の作業員が3人がかりで推進派の漁船へ引きずり上げ、甲板に押し倒し、首や手足を羽交い締めにしました。そして、コンクリートブロックを設置する間、身動きができない状態で拘束され苦しい時間が続きました。私は意識がもうろうとなり、緊急搬送され5日間の入院を要しまし
た。その後、医師の診断書と暴行を受けている映像を証拠として2009年11月に刑事告訴を行い、現在も山口検察審査会に申し立てを行つています。しかし、その後も80歳の祝島の女性を中国電力JVの社長がひざ蹴りしたり、座り込みをしていた女性の上に中国電力の警備員が何人も傾れ込んで、緊急搬送されたりという事件が繰り返され、権力やお金で地元を押さえ付けるのみならず、現地では暴力や力で押さえ付ける無法な状態が続きました。
私が刑事告訴を行つた翌月、中国電力から不法な妨害行為を行つたとして約4800万円の損害賠償請求を起こされました。しかし、私たちは自分の命や生活を原発から守るため、また、危険な工事を止めるため非暴力で抗議していたにすぎません。また、暴力も不法な行為も行っていません。また、私は訴えられているほとんどの日数は、暴行を受けて入院しており、現地にさえいませんでした。反対する私たち個人に対して、突然に4800万円も請求することは、異議を申し立てるものへの脅しであり、時間的にも、金銭的にも、精神的にも苦痛を強いられています。ましてや、訴えるにあたった理由や根拠が定かではありません。この裁判は、憲法で保障されている表現の自由を奪うスラッ
プ訴訟であると私たちは思います。
私は広島で生まれ育ち、被ばく者から「核と人類は共存できない」と教わりました。小さな頃から両親や先生たちからも核兵器や放射能の恐ろしさを教わって育ちました。生命と相いれない核は、いかなる場合においても利用してはなりません。3.11福島第一原発の爆発事故以降、放射能が多くの人命を脅かし、自然やふるさとや安心して暮らす権利を奪いました。その影響は福島だけにとどまらず世界規模であり、取り返しのつかないものです。未だに多くの人々の犠牲を払いながら収束へ向けた取り組みが続けられていますが、事故は収束できず、将来にわたり影響を及ぼし続けることが明らかです。
上関原発においても、原発事故による世論の声の高まりにより、これまで後ろ盾となってきた県からは埋め立て免許の延長はしないとの方針が出され、国も上関を含め、新規立地はしないと明言しました。原発を建設し、稼働できる根拠のない中で、埋め立て免許を申請し、この裁判を続けている事は、多くの国民、電力消費者の世論に逆行し、県をはじめ国の政策までをも否定することではないでしょうか。
私たちが、原発計画に対して現地で必死に訴えてきた事は、ただ反対というのではありません。自分たちや将来に続く命・安心して暮らせる生活・生まれ育ったふるさと・豊かな海を守るための極めて当然の行動だつたのです。だからこそ、非暴力でなお、懸命の阻止行動が続けられてきたのだと思います。それは、不法なものでも、妨害でもありません。私は現地での抗議行動を通して、祝島の人たちをはじめ、これまで原発を止め、私たちを守ってきてくださった方々に切なる感謝の気持ちでいっぱいです。30年の長きにわたる闘いは、言い表せない幸い犠牲を払っていることでしょう。それは推進でも反対でも同じことではないでしょうか。最後に、私も消費者の一人として、中国電力に対し、多くの犠牲の上に成り立ち、人命をも脅かす原子力発電からの撤退と、私たちの表現の自由を奪おうとする本件訴訟の取り下げを直ちに行うよう、ここに強く要求します。

以上

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