全国被爆二世団体連絡協議会の総会が開かれる

2月4日~5日、全国被爆二世団体連絡協議会(以下、二世協)の総会が広島自治労会館で行われました。広島、長崎はもとより、鹿児島、熊本、福岡、山口、大阪、神奈川、東京都の被爆二世50名が参加しました。
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総会では2010年、2011年の活動報告・会計報告、2012年、2013年の活動方針・予算案を論議しました。
活動方針はこれまで同様「再びヒバクシャをつくらないために、核廃絶と世界の平和を求める活動」「国家補償と被爆二世・三世への適用を明記した被爆者援護法の改正をめざす」「放影研の「被爆二世健康影響調査」について取り組みを進める」「在外被爆者支援と在外被爆二世との交流」などの他、「フクシマの被曝者と連帯し、東京電力・福島原子力発電所事故による放射線の影響の解明と労働者や住民の健康と安全を守り、健康被害の補償を求める取り組みに参加する」を決めました。
最後に総会宣言を採択しました。
総会宣言はこちら↓
http://hibaku2.blog.so-net.ne.jp/2012-02-08-1
続いて行われた記念講演は2つ。
「今、二世にたくしたいもの」広島県被団協理事長 坪井 直さん (要旨)
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爆心地から1.2kmのところで被爆し、耳がちぎれ、唇が腫れ上がり、両腕から血が流れ、背中にあいた穴からも血が溢れた。逃げると途中、助けを求める人がいたが家が倒壊し火も迫っていたので助け出せなかった。友達の手を借り、似島の野戦病院に収容された頃には意識がなくなっていた。母親が探し回り、似島にたくさんの人が収容されているのを聞き、助けに来てくれた。いくつもある建物には多くの被爆者が収容されていた。大けがをしており、誰が誰だかもわからない。母親は「直はおらんか~、直はおらんか~」と大声を出しながら各建物を歩き回った。11番目の建物に入ったとき、意識の弱っていた私の耳に母の声が届いた。「ここにおるよ」と弱々しく答えた。それで私は家に帰ることができた。しっかり意識が回復したのは9月26日です。
昨年、福島で原発事故が起こり、風評被害が出ています。それらを打破するにはヒバクシャだけが問題にするのではなく、全ての人たちが立ち向かわなければなりません。そして国家が責任をもってヒバクシャを救わなくてはなりません。
「フクシマと連帯するために」 兵庫医科大学 振津かつみさん (要旨)
1)フクシマ事故後、改めて問われている「再びヒバクシャをつくらせない」闘い
2)フクシマ原発事故被害の現状~新たなヒバクシャを生み出している
3)重大事故があっても原発を推進するため、押し付けられているヒバク
4)フクシマと連帯してどのような取り組みが求められているか一人ひとりの健康と命を守る視点から
5)フクシマを「核時代」の終わりの始まりに
以上5つの点から福島第一原発事故後の状況と原爆被爆者の話をしていただきました。
振津さんは原爆被爆者と原発被曝者の共通性として「国策に沿わない人の命や尊厳、生活を脅かすものだ」と表現されました。原爆の場合は戦争が国策で、フクシマの場合は原発建設です。
そして「加害者を明確にしなくてはならない」と話されたことが心に残っています。
翌日は二世協の具体的な取り組みを話し合った後、各県の報告を行いました。鹿児島、福岡、熊本、東京、山口から活発な意見と各団体の報告がありました。
午後からは、広島の被爆二世の案内で市内のフィールドワークを行いました。
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